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東京地方裁判所 昭和46年(行ウ)185号 判決

原告 荒井篤三

被告 国

主文

一  被告は原告に対し金三八四、一四四円およびこれに対する昭和四八年三月六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一請求の趣旨

一  被告は原告に対し金四八四、八五四円およびこれに対する昭和四八年三月六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  仮執行の宣言

第二請求の趣旨に対する答弁

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

三  仮執行免脱の宣言

第三請求原因

一  当事者

原告は郵政事務官で、昭和四五年一一月当時、京橋郵便局(東京都中央区銀座八丁目二〇番二五号所在。なお、以下に述べるところは同局に関するものであるから、この点は特に明示しない。)第一集配課に勤務して郵便外務事務を担当し、配達道順組立作業(郵便課において配達区別に区分された郵便物をさらに同一の町名、住居番号等の区画別に区分したうえ―この部分の作業を大区分作業という。―、配達の順序にしたがつて配達先別に整理する―この部分の作業を戸別組立作業という。―一連の作業をいう。)ならびに配達作業に従事していた。また、原告は同月当時以前から全逓信労働組合(以下「組合」という。)に加入していた。

二  事故の発生

原告は昭和四五年一一月二六日午後六時三〇分に、翌同月二七日午前一〇時三〇分までのいわゆる一六時間勤務につき、第一集配課事務室において大区分作業に従事し、途中、所定の休息時間(午前一時から午前五時まで)を利用して、同日午前一時ころから午前五時二五分ころまで仮眠をとり、午前五時三五分ころから再び大区分作業に取りかかつた。その後、原告は勤務時間中の午前六時二〇分ころ、同課職員数名とともにお茶を飲もうとして、自己の持ち場を離れて同課事務室通路上に設けられていた石油ストーブの周辺へ行き、同所にあつた道順組立用補助椅子(戸別組立作業に従事する際に使用する椅子で、その腰掛台は腰掛台下に取りつけられているねじで固定する構造のものである。以下「本件椅子」という。)に腰をおろしたところ、腰掛台の固定ねじが脱落していたので腰掛台が後方に回転し、そのため原告は後方に転倒し、持つていた湯飲み茶わんが割れて、その破片で左手掌に切傷を負つた。

三  病気休暇、休職処分ならびに給与の減額、昇給の号俸減

(一)  病気休暇、休職処分

原告は昭和四五年一一月二八日から同年一二月一八日までと昭和四六年一月一一日から同年四月一〇日まで病気休暇をとり、病院で前記傷害の治療を受けていたところ、国家公務員法第七九条第一号に基づいて、局長より次のとおり同月一一日から同年六月九日まで休職を命じられた。

(処分発令日) (休職期間)

同年四月一一日 同日から同月三〇日までの二〇日間

同年五月一日  同日から同月九日までの九日間

同月一〇日   同日から同年六月九日までの一か月間

(二)  給与の減額、昇給の号俸減

原告は、前記病気休暇ならびに休職処分により、次のとおり、給与を減額され、昇給の号俸を減じられた。

1 原告は、本件事故当時、俸給(外務職三級三九号俸)として月額金四九、一〇〇円、暫定勤務地手当として月額金二、四四〇円、合計月額金五一、五四〇円の支給を受けていたところ、前記休職処分により、所定の支給日に昭和四六年四月分ないし同年六月分の俸給ならびに暫定勤務地手当として合計金一三四、三九八円の支給を受けたにとどまり、合計金二〇、二二二円減額された。

2 原告は、本件事故当時、区分作業に対する特技作業手当として勤務一日につき金五五円の支給を受けていたところ、前記病気休暇ならびに休職処分により、所定の支給日に昭和四五年一一月二八日から同年一二月一八日までと昭和四六年一月一一日から同年六月九日までの間における所定勤務日数一四二日分の区分作業に対する特技作業手当合計金七、八一〇円の支給を受けられなかつた。

3 原告は、昭和四六年六月一五日を支給日とする期末手当ならびに奨励手当として、本来ならば合計金八二、八三五円の支給を受けられるところ、前記休職処分により、合計金五八、〇二一円の支給を受けたにとどまり、合計金二四、八一四円減額された。

4 組合と郵政省との間に昭和三五年四月二三日締結された昇給の欠格基準に関する労働協約第一条には、私傷病による病気休暇をとつたりあるいは休職処分を受けた職員は、定期昇給に必要とされる、良好な成績で勤務したとき、との要件を欠くものとする旨の定めがあり、原告は、前記病気休暇(但し、昭和四六年一月一一日から同年四月一〇日までのもの。)ならびに休職処分により、同条に該当するとして、昭和四七年四月一日の定期昇給に際し、俸給について昇給の号俸を一号俸減じられた。

四  被告の責任

(一)  債務不履行責任

1 組合と郵政省との間に昭和三五年一二月一二日締結された休職者の給与に関する労働協約第一条には、職員が公務上の負傷により休職を命じられたときは、その休職期間中、その職員に給与の全額を支給する旨の定めがある。また、同じく両者の間に同日締結された復職者の俸給是正に関する労働協約第一条には、職員が公務上の負傷または疾病による休職処分やそれ以前に引き続く病気休暇のために、定期昇給に際し俸給について昇給の号俸を減じられたときは、その職員が復職したならば、復職した日付をもつて減じられた号俸分だけ増俸して俸給を是正する旨の定めがある。

2 本件事故は、勤務時間中に勤務場所において発生したものである。また、第一集配課の職員は、いわゆる一六時間勤務の際には、午前一時から午前五時までの所定の休息時間に仮眠をとり、その後午前七時四〇分の休憩時間まで再び作業に従事するのであるが、この時間帯の作業は、早朝でしかも仮眠直後でもあるために睡気はさめず休調も十分ではないので、かなりの肉体的負担をともなうものである。このような事情から、この時間帯においては、作業が一段落する作業再開の一時間後ころに睡気をさましたり体調を整えるため数分間お茶を飲むことが慣例として許されていたのである。それに、この程度の行為は、右のような事情からすれば、公務にともなう通常のまたは合理的範囲内のものとみるべきであつて、公務を逸脱するものとはいえない。ことに、本件事故当時は時間的な関係や局舎が仮設のものであつた関係で寒さが厳しかつたのであるから、これを考慮するならばなおさらのことである。したがつて、原告の前記傷害は前記休職者の給与に関する労働協約第一条ならびに復職者の俸給是正に関する労働協約第一条にいう公務上の負傷に該当し、前記病気休暇ならびに休職処分は右各労働協約の右各条にいう公務上の負傷による病気休暇ならびに休職処分に該当する。

3 そうすると、被告は原告に対し、前記休職者の給与に関する労働協約第一条により、前項(二)1ないし3記載の給与の減額分を支給し、前記復職者の俸給是正に関する労働協約第一条により、原告が復職した昭和四六年六月一〇日付をもつて俸給を一号俸増俸すべき債務がある。それなのに、被告はこの債務の履行を怠り、原告がその履行の催告をしてもこれに応じない。したがつて、被告は原告に対し、その履行に代わる損害の賠償をすべき義務がある。

(二)  国家賠償責任

本件椅子は被告の設置、管理にかかる国家賠償法第二条第一項にいう公の営造物であり、本件事故は本件椅子の設置、管理に腰掛台の固定ねじの脱落という瑕疵があつたことにより発生したものである。したがつて、被告は原告に対し、同条同項により、本件事故によつて生じた損害を賠償すべき義務がある。

五  損害

(一)  債務不履行ならびに本件事故による損害

1 昭和四六年四月分ないし同年六月分の俸給ならびに暫定勤務地手当の減額分相当額金二〇、二二二円

2 昭和四五年一一月二八日から同年一二月一八日までと昭和四六年一月一一日から同年六月九日までの間における所定勤務日数一四二日分の区分作業に対する特技作業手当相当額金七、八一〇円

3 昭和四六年六月一五日を支給日とする期末手当ならびに奨励手当の減額分相当額金二四、八一四円

4 昇給の一号俸減にともなう俸給、暫定勤務地手当、期末手当、奨励手当ならびに退職手当の逸失分相当額金一三二、〇〇八円

原告は昭和四六年六月一〇日付で俸給を一号俸増俸されないことにより、昭和四七年四月一日以降、俸給について昇給の号俸を一号俸減じられたままとなる。原告は少なくとも同日以降三〇年間勤続できるので、俸給について昇給の号俸を一号俸減じられたことにともなつて失うこととなるその間の俸給、暫定勤務地手当、期末手当、奨励手当ならびに退職手当の合計額は、ホフマン式計算により中間利息を控除した同日当時における現価額で、金一三二、〇〇八円である。

(二)  本件事故による損害(慰藉料金三〇〇、〇〇〇円)

原告は、何らの過失もないのに、本件事故により前記傷害を負つた。そして、前記病気休暇ならびに休職処分を余儀なくされ、その間就業することができなくなつた。それに、この休職処分等にともなつて、昇進につき影響を受けることになる。また、前記傷害については、病院で左手掌正中神経縫合手術等の治療を受け、昭和四六年八月当時も治療を継続中であつたのであるが、左手の親指と人差し指が自由に屈伸できない状態にあり、そのため左手で重量物を持つことができず、作業能率は低下を来たしている。このようにして、原告は本件事故により甚大な精神的苦痛を被つたのであるから、これを慰藉するための慰藉料としては金三〇〇、〇〇〇円が相当である。

六  よつて、原告は被告に対し、債務不履行による損害賠償として、これが認められないときは国家賠償法第二条第一項による国家賠償として前項(一)記載の各金員、同じく国家賠償として前項(二)記載の金員およびこれに対する訴え変更申立書送達の翌日で、本件事故発生日の後である昭和四八年三月六日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第四請求原因に対する認否

一  第一項の事実は認める。

二  第二項の事実のうち、本件椅子が原告主張の石油ストーブの周辺に置かれていたものであることは否認し、その余の事実は認める。

原告は、後述のとおり、破損品として集積、保管されていた本件椅子を原告主張の石油ストーブ周辺に持ち出して、これに腰掛けようとしたのである。また、本件事故は、後述のとおり原告の不注意により発生したものである。

三(一)  第三項(一)の事実は認める。

(二)1  第三項(二)1の事実は認める。

2  第三項(二)2の事実のうち、原告が本件事故当時支給を受けていた特技作業手当が区分作業に対するそれであり、その額が勤務一日につき金五五円であること、原告がその主張のとおりの病気休暇ならびに休職処分により支給を受けられなかつた一四二日分の特技作業手当が区分作業に対するそれであり、その額が合計金七、八一〇円であることは否認する。その余の事実は認める。

特技作業手当は「特技作業手当の支給について」と題する通達(昭和三九年三月一二日郵給第一一一号)に基づいて支給されるものであるが、この通達によれば、郵便内務事務に従事したときは区分作業に対する特技作業手当が支給され(第一の1および第二の1)、配達道順組立作業や配達作業等の郵便外務事務に従事したときには道順組立作業に対する特技作業手当が支給される(第一の2および第三の1)。そして、道順組立作業に対する特技作業手当の額は、東京都の特別区に所在する郵便局の職員が郵便外務事務のうちの配達道順組立作業や配達作業に従事したときには、勤務一日につき金五〇円である(第三の2、3および別表二)。しかるに、原告は、本件事故当時、配達道順組立作業ならびに配達作業という郵便外務事務に従事していた。したがつて、原告が本件事故当時支給を受けていた特技作業手当は道順組立作業に対するそれであつて、その額は勤務一日につき金五〇円であり、原告がその主張のとおりの病気休暇ならびに休職処分により支給を受けられなかつた一四二日分の特技作業手当は道順組立作業に対するそれであつて、その額は合計金七、一〇〇円である。

3  第三項(二)3の事実は認める。

4  第三項(二)4の事実は認める。

四(一)1 第四項(一)1の事実は認める。

2 第四項(一)2の事実のうち、本件事故が勤務時間中に勤務場所において発生したものであること、第一集配課の職員が、いわゆる一六時間勤務の際には、原告主張のとおり仮眠をとり、その後原告主張のとおり再び作業に従事すること、本件事故当時は局舎が仮設のものであつたことは認める。その余の事実は否認する。

原告ら職員には、一般的に、勤務時間中は職務に専念し、上司の許可を受けないでほしいままに勤務を離れてはならない義務がある(国家公務員法第一〇一条第一項、郵政省就業規則第五条第一項、第一三条第一項)。それだけでなく、いわゆる一六時間勤務における午前五時から午前七時四〇分までの勤務時間帯は、大区分作業をすべき郵便物の滞積量がピークに達するので、迅速でかつ間断のない作業遂行が必要とされていた。しかも、本件事故当日は通常の日より郵便物の数量が増加する月末の金曜日であつたうえ、仮眠からの起床も所定時刻の午前五時より二五分位遅かつたのであるから、その必要はより大であつた。それに、早朝であるとか仮眠後であるからといつても、仮眠を終え作業を再開してから一時間位経つてまだ睡気がさめないとか体調が十分でないというようなことは、通常ならないはずであるし、大区分作業は継続的なものであるから、このころに作業が一段落するというようなこともないし、原告主張のような慣例もなかつた。また、本件事故当時、第一および第二集配課事務室には送風式石油ストーブが合計八台設置されており、室温が摂氏二〇度以下にならないよう配慮されていたので、採暖の点も十分であつた。それなのに、原告はこの午前五時から午前七時四〇分までの時間帯に、休息をする目的で、同僚らとともに第一集配課事務室通路上に設けられていた石油ストーブ周辺に集まり、椅子に腰掛けて雑談や喫茶におよぼうとしたのであつて、この行為は国家公務員法および郵政省就業規則の右各条各項に違反する怠業行為である。そして、本件事故はこのような怠業行為中に発生したものであるから、原告の負つた傷害は公務に起因するところの公務上の負傷とはいえない。

3  第四項(一)3の事実のうち、原告が昭和四六年六月一〇日に復職したことは認める。その余の事実は否認する。

(二)  第四項(二)の事実のうち、本件椅子が被告の設置、管理にかかる国家賠償法第二条第一項にいう公の営造物であること、本件椅子は腰掛台の固定ねじが脱落していたものであつたことは認める。その余の事実は否認する。

本件椅子は本件事故当時に戸別組立作業に使用されていた道順組立用補助椅子とは型の異なる旧式のものであつて、本件椅子と同じ型のものは他になく、腰掛台の固定ねじが脱落していたので、破損品として処分するために他の破損物品とともに第一集配課事務室の課長代理席の後方に集積、保管されていた。そして、原告ら同課職員は本件椅子がこのような破損品であることを知つていた。また、本件事故当時、第一集配課事務室の休憩所には正規の休憩用として三脚の長椅子が置かれていた。ところが、原告は、このように破損品として集積、保管されていた本件椅子を、それが破損品であると知りながら持ち出して、怠業行為のために使用しようとしたのである。したがつて、本件椅子がこのように使用されるであろうことなど、被告にとつて全く予知し得なかつたことであり、被告は通常予知し得る限りの危険防止措置を講じていたのであるから、本件椅子の設置、管理に瑕疵はなかつたものである。本件事故はもつぱら原告の不注意により発生したものである。

五(一)1 第五項(一)1の事実は否認する。

2 第五項(一)2の事実は否認する。

3 第五項(一)3の事実は否認する。

4 第五項(一)4の事実のうち、原告が昭和四六年六月一〇日付で俸給を一号俸増俸されないことにより、昭和四七年四月一日以降、俸給について昇給の号俸を一号俸減じられたままとなること、仮に原告が同日以降三〇年間勤続するとするならば、俸給について昇給の号俸を一号俸減じられたことにともなつて原告が失うこととなるその間の俸給と原告主張の各諸手当の合計額がその主張のとおりであることは認める。その余の事実は否認する。

(二)  第五項(二)の事実のうち、原告が本件事故により原告主張のとおりの傷害を負つたこと、原告がその主張のとおり病気休暇をとつたり休職処分を受け、その間は就業しなかつたこと、原告が、その主張の傷害について、病院で昭和四六年七月二〇日まで左手掌正中神経縫合手術等の治療を受けたことは認める。原告は左手の親指と人差し指が自由屈伸できない状態にあり、そのために左手で重量物を持つことができないことは知らない。その余の事実は否認する。

六  第六項の事実は、訴え変更申立書送達の翌日が昭和四八年三月六日であることを除いて争う。

第五証拠関係〈省略〉

理由

一  請求原因第一項(当事者)の事実は、当事者間に争いない。

二  事故の発生について

当事者間に争いない事実および成立に争いない甲第一〇、第一一号証、証人水野孝之、同丸山厳、同影山和夫、同福田岩雄、同岩本正の各証言、原告本人の供述ならびに検証の結果によれば、次の事実が認められる(但し、証人福田岩雄の証言中、後記認定に反する部分は信用しない。)。

原告は、職務上の指揮命令ならびに監督権限を有する主事を含む第一集配課職員一一名とともに、昭和四五年一一月二六日午後六時三〇分に、翌同月二七日午前一〇時三〇分までのいわゆる一六時間勤務につき、同課事務室において大区分作業に従事した。そして、途中、所定の休息時間(午前一時から午前五時まで)を利用して、同日午前一時ころから午前五時二五分ころまで仮眠をとり、午前五時三五分ころから再び大区分作業に取りかかつた。ところで、同課事務室主事席前の通路上には石油ストーブが設けられていたところ、この石油ストーブ脇の統括責任者の机のところには茶器等を入れる戸棚が置かれていたので、同課職員丸山厳は、勤務時間中の午前六時二〇分ころ、この机のところで四、五人分のお茶を入れ、「お茶が入つたよ。」と声をかけた。そこで、原告は、同課職員数名とともにお茶を飲むため、自己の持ち場を離れ、右机のところでお茶の入つた湯飲み茶わんを手にして、右石油ストーブの周辺へ行つた。当時同所には本件椅子を含めて三、四脚か五、六脚の道順組立用補助椅子(戸別組立作業に従事する際に使用する椅子である。)が置かれていたが、本件椅子は、旧式のもので、腰掛台をその下に取りつけられているねじで固定する構造のものであるところ、その腰掛台の固定ねじが脱落していた。そして、原告は、本件椅子と同じ型の道順組立用補助椅子の中に腰掛台の固定ねじの脱落しているものがあり、これに腰掛けた職員が腰掛台が回転したために転倒したという前例のあることを知つていた。けれども、原告は本件椅子が腰掛台の固定ねじの脱落していたものであるとは知らなかつたので、これに腰をおろした。ところが、本件椅子は右のとおり腰掛台の固定ねじが脱落していたので腰掛台が後方に回転し、そのため原告は後方に転倒し、持つていた湯飯み茶わんが割れて、その破片で左手掌に正中神経損傷をともなう切傷を負つた。

三  病気休暇、休職処分ならびに給与の減額、昇給の号俸減について

(一)  病気休暇、休職処分について

請求原因第三項(一)(病気休暇、休職処分)の事実は、当事者間に争いない。

(二)  給与の減額、昇給の号俸減について

1  請求原因第三項(二)1(前記休職処分による、昭和四六年四月分ないし同年六月分の俸給ならびに暫定勤務地手当についての合計金二〇、二二二円の減額等)、3(前記休職処分による、同年六月一五日を支給日とする期末手当ならびに奨励手当についての合計金二四、八一四円の減額等)、4(前記病気休暇―但し、同年一月一一日から同年四月一〇日までのもの。―ならびに休職処分による、昭和四七年四月一日の定期昇給の際における、俸給についての昇給の号俸の一号俸減等)の事実は、当事者間に争いない。

2  原告が、本件事故当時、特技作業手当として勤務一日につき一定額の支給を受けていたところ、前記病気休暇ならびに休職処分により、所定の支給日に昭和四五年一一月二八日から同年一二月一八日までと昭和四六年一月一一日から同年六月九日までの間における所定勤務日数一四二日分の特技作業手当の支給を受けられなかつたことは、当事者間に争いない。ところで、特技作業手当は「特技作業手当の支給について」と題する通達(昭和三九年三月一二日郵給第一一一号)に基づいて支給されるものであるところ、この通達には、郵便内務事務に従事したときは区分作業に対する特技作業手当を支給し(第一の1および第二の1)、配達道順組立作業や配達作業等の郵便外務事務に従事したときには道順組立作業に対する特技作業手当を支給し(第一の2および第三の1)、道順組立作業に対する特技作業手当の額は、東京都の特別区に所在する郵便局の職員が郵便外務事務のうちの配達道順組立作業や配達作業に従事したときには、勤務一日につき金五〇円とする(第三の2、3および別表二)旨定められている。しかるに、原告は、昭和四五年一一月当時、東京都中央区銀座八丁目二〇番二五号所在の京橋郵便局に勤務して、第一集配課において配達道順組立作業ならびに配達作業という郵便外務事務に従事していた。したがつて、これによれば、原告が本件事故当時支給を受けていた特技作業手当は道順組立作業に対するそれであつて、その額は勤務一日につき金五〇円であると認められ、成立に争いない甲第一二号証のうち右認定に反する記載部分は信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。そうすると、原告が前記病気休暇ならびに休職処分により支給を受けられなかつた一四二日分の特技作業手当は道順組立作業に対するそれであつて、その額は合計金七、一〇〇円である。

四  被告の責任について

(一)  債務不履行責任について

1  請求原因第四項(一)1(休職者の給与に関する労働協約第一条ならびに復職者の俸給是正に関する労働協約第一条の内容等)の事実は、当事者間に争いない。

2  前記休職者の給与に関する労働協約第一条ならびに復職者の俸給是正に関する労働協約第一条にいう公務上の負傷とは、その負傷が職員の職務遂行中の事故により負つたものであつて、かつその職務と事故との間に相当因果関係が存する場合をいうものと解される。

もつとも右各労働協約の右各条は、職員がそこにいう公務上の負傷により不利益を被つた場合に、その不利益を填補して職員を保護しようとする趣旨のものであるから、この点から考えれば、右の職務遂行中とは、単に職員がその本来の職務に従事している場合のみでなく、広く一般に職員が郵政省ないし郵便局当局の指揮命令に基づく支配下にある場合を含むものと解すべきである。そうだとすれば、たとえ職務中断中のような場合であつても、それが郵政省ないし郵便局当局の指揮命令を排除し、その支配下から離脱するようなものでないときには、郵政省ないし郵便局当局において指揮命令をなし得るのであるから、その職員はなおその指揮命令に基づく支配下にあるというべきである。したがつて、このような場合に、職員が郵政省ないし郵便局の施設の欠陥により生じた事故で負傷したようなときは、この負傷は右各労働協約の右各条にいう公務上の負傷に該当するものと解するのが相当である。

しかるに、本件事故は、原告が勤務時間中に自己の持ち場を離れ、第一集配課事務室通路上に設けられていた石油ストーブの周辺で同課職員数名とともにお茶を飲もうとした際の職務中断中に発生したものである。けれども、原告が右のようにお茶を飲もうとした行為は、それが国家公務員法第一〇一条第一項および郵政省就業規則第五条第一項、第一三条第一項に違反する怠業行為であるかどうかはともかくとして、局当局の指揮命令を排除し、その支配下から離脱するような性質、態様のものではなく、原告らとともにいわゆる一六時間勤務についていた職務上の指揮命令ならびに監督権限を有する主事において指揮命令をなし得る状態にあつたのであるから、原告はなお局当局の指揮命令に基づく支配下にあつたものというべきである。そして、本件事故は、後記認定のとおり、本件椅子の管理上腰掛台の固定ねじの脱落という瑕疵があつたことにより発生したものである。そうすると、原告の本件事故による前記傷害は、右各労働協約の右各条にいう公務上の負傷に該当し、前記病気休暇ならびに休職処分は、右各労働協約の右各条にいう公務上の負傷による病気休暇ならびに休職処分に該当する。

3  以上によれば、被告は原告に対し、前記休職者の給与に関する労働協約第一条により、前項(二)1記載の昭和四六年四月分ないし同年六月分の俸給ならびに暫定勤務地手当の減額分合計金二〇、二二二円および同年六月一五日を支給日とする期末手当ならびに奨励手当の減額分合計金二四、八一四円ならびに前項(二)2記載の昭和四五年一一月二八日から同年一二月一八日までと昭和四六年一月一一日から同年六月九日までの間における所定勤務日数一四二日分の道順組立作業に対する特技作業手当合計金七、一〇〇円のうち、前記休職処分を受けた同年四月一一日から同年六月九日までの間における所定勤務日数分に相当する部分を支給すべき債務がある。また、原告が同月一〇日に復職したことは当事者間に争いないから、被告は原告に対し、同日付で俸給の号俸を一号俸増俸すべき債務がある。しかるに、弁論の全趣旨によれば、原告が被告に対しこの債務の履行を催告し、その後相当の期間が経過していることが認められる。そうすると、原告は被告に対し、この債務の履行に代わる損害の賠償を請求できるものといわなければならない。

(二)  国家賠償責任について

本件椅子が被告の設置、管理にかかるものであることは当事者間に争いないところ、本件椅子は、戸別組立作業に従事する際に使用するもので、京橋郵便局の施設の一部を構成するものであるから、国家賠償法第二条第一項にいう公の営造物に該当する。そして、第二項で認定したところの事実からすると、本件事故は本件椅子の管理上腰掛台の固定ねじの脱落という瑕疵があつたために発生したものと認められる。そして、原告は本件椅子と同じ型の旧式の道順組立用補助椅子の中に腰掛台の固定ねじの脱落しているものがあり、これに腰掛けた職員が原告と同じように転倒したという前例のあることを知つていたということを考慮したとしても、すでに認定したような本件椅子に腰を掛けたときの状況からは、本件椅子に腰掛けたこと自体を過失として、本件事故につき原告に過失があつたということはできないし、他に原告の過失を裏づけるような事実を認めるに足りる証拠はない。そうすると、被告は原告に対し、本件事故による損害を賠償すべき義務がある。

五  損害について

(一)  債務不履行による損害について

1  原告は、前記休職者の給与に関する労働協約第一条により、第三項(二)1記載の昭和四六年四月分ないし同年六月分の俸給ならびに暫定勤務地手当の減額分合計金二〇、二二二円および同年六月一五日を支給日とする期末手当ならびに奨励手当の減額分合計金二四、八一四円の支給を受けられたはずであるから、これと同額の損害を被つたものである。

2  当事者間に争いない事実および前掲甲第一〇、第一一号証、成立に争いない甲第九号証によれば、原告は昭和四六年六月一〇日付で俸給の号俸を一号俸増俸されないことにより、昭和四七年四月一日以降、俸給について昇給の号俸を一号俸減じられたままとなること、原告は昭和一九年一一月一一日生れで、本件事故当時二六才であつたから、少なくとも昭和四七年四月一日以降三〇年間は勤続できること、俸給について昇給の号俸を一号俸減じられたことにともなつて原告が失うこととなるその間の俸給、暫定勤務地手当、期末手当、奨励手当ならびに退職手当の合計額は、ホフマン式計算により中間利息を控除した同日当時における現価額で、金一三二、〇〇八円であることが認められる。そうすると、原告は昭和四六年六月一〇日付で俸給の号俸を増俸されないことにより右のとおりの損害を被つたものである。

3  原告は、前記休職者の給与に関する労働協約第一条により、第三項(二)2記載の一四二日分の道順組立作業に対する特技作業手当合計金七、一〇〇円のうち、前記休職処分を受けた昭和四六年四月一一日から同年六月九日までの間における所定勤務日数分に相当する部分の支給を受けられたはずである。しかし、その所定勤務日数については主張、立証がないので、その額を確定することができない。したがつて、損害額の立証がないことに帰する。

(二)  本件事故による損害について

1  原告は、本件事故による前記傷害のために前記病気休暇をとつたり前記休職処分を受け、その結果、第三項(二)2記載の一四二日分の道順組立作業に対する特技作業手当合計金七、一〇〇円の支給を受けられなかつたのであるから、これと同額の損害を被つたものである。

2  原告は、本件事故により前記傷害を負い、前記病気休暇ならびに休職処分を余儀なくされた。そして、当事者間に争いない事実および前掲甲第九ないし第一一号証ならびに原告本人の供述によれば、原告は前記傷害について病院で、本件事故当日の昭和四五年一一月二七日から同年一二月中旬ころまで切傷の縫合(三針)等の治療を受け、昭和四六年一月一一日から同年一〇月ころまで左手掌正中神経縫合手術やマツサージ等の治療を受けたこと、しかし、左手の手掌や親指、人差し指および中指に感覚異常が残つており、そのためこれらの手掌や指に物があたるとしびれを感ずるので、作業に従事する際には左手に手袋をはめなければならないし、また重量物を持つにも不便があり、作業に支障を生じていることが認められる。これによれば、原告は本件事故により甚大な精神的苦痛を被つたものと認められるので、これを慰藉するための慰藉料としては、右認定したところの事情や本件事故の態様等諸般の事情を考慮して、金二〇〇、〇〇〇円が相当であると認める。

六  結論

以上のとおり、原告の本訴請求は、債務不履行による損害賠償として前項(一)1、2記載の各金員、国家賠償法第二条第一項による国家賠償として前項(二)1、2記載の各金員およびこれに対する訴え変更申立書送達の翌日であること記録上明らかで、本件事故発生日の後である昭和四八年三月六日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、これを正当として認容し、その余は理由がないから失当として棄却する。訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条但書を、仮執行の宣言については同法第一九六条第一項を準用し、仮執行免脱の宣言については、これを付するのは相当でないから、付さないこととする。よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮崎啓一 安達敬 飯塚勝)

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